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第3回

小さなぼくの腕時計



 

ところで、昨年からぼくは機械式の腕時計を愛用している。煩わしいし街にいれば時計など不要なので長らく腕時計などしなかったのだが、縁あって自分の理想にピッタリのモノが手に入ったのだ。

ところが、この機械式という代物は大変世話が焼ける。電池式と違いゼンマイ仕掛けで針が動くので、1日放っておいただけで動かなくなってしまう。止まる度に時刻や日付を合わせ直さねばならず、面倒極まりないのだ。

では、なぜ、腕時計をすることすら煩わしいと言う面倒くさがり屋のぼくがそんなモノを選んだのか。

それは、ズバリ“愛着”の二文字のためだ。

人の手間を必要とする道具こそ持ち主に愛情を抱かしめるのではないか。有名なダレソレが愛用したカメラだとか、著名なナニガシの遺品の時計などと聞くにつけ、「あぁ、オレもそういうのほしいなぁ」とミーハーよろしく憧れていたのだった。それにはやっぱりアナログしかない。カメラならオートフォーカスよりもマニュアル、電話だってケータイよりも糸電話ではないか(コレは無理があるか)。

しかも、最新鋭の仕掛けが搭載されたモノだと、壊れても素人には手が出せないばかりか、すぐにグレードアップやらモデルチェンジがなされてお払い箱になりかねない。それに引き換えアナログ系なら、たとえ壊れても持ち主の手によって息を吹き返すことも可能である。その人の魂のようなものが吹き込まれるようで、孫の代まで受け継がれたりもする。

ちょっと前、平井堅が歌う『大きな古時計』が話題になり、芸能オンチなぼくはこの人を知らなかったが、これはぼくが小学生の頃の音楽で出会った懐かしく大好きな曲だ。おじいさんが生まれた時に家にやって来た大きな時計は100年も動き続け(本当は90年だとか)、天国へ旅立つその時まで動き続けた、という内容。まだ1才になったばかりの我が腕時計とも、それくらい長く付き合っていきたいと願っている。


松浦 庸夫:
本誌の助っ人編集ライター。英語、映画、アウトドア、環境、タウンなどの各雑誌で執筆・翻訳・編集に携わっている。趣味は映画、読書、スポーツ全般、旅行、料理、街歩き、アウトドアなど。

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